北海道の強制不妊手術

 
 
北海道が作製した「優生手術〈強制〉千件突破を顧りみて」
 

 中国人観光客らで連日にぎわう、札幌市にある重要文化財「赤れんが庁舎」。かつての道庁舎だったこの施設の地下には、古い文書倉庫があり、旧優生保護法関連の6309枚のマイクロフィルムが保管されている。これらを含め、現在までに発見された関連記録は計1万714枚。全国最多の2593人が不妊手術を強制されたとされる北海道で起きた「人権侵害」の記録だ。毎日新聞は、記録や取材を通じ、突出して多い北海道の強制手術の実態に迫った。

 

手術で「管理」しやすく 「入所女性の半数に開腹した痕があった」

 「入浴時、裸になった女性たちの半数ほどに、腹部に開腹した手術痕があった」。旧法が母体保護法に改定された2年後の1998年、北海道の障害者施設で働き始めた女性にとって「忘れられない光景」だ。

 入所者の入浴介助をしていた時、多くの中年女性の体に残る傷痕に気づいた。当初は子宮筋腫など疾患が理由の手術痕だと考えたが、人数の多さに違和感を持った。先輩職員に尋ねると、驚くべき言葉が返ってきた。「自分で生理の始末ができないでしょ。だから子宮を取ったのよ」

 旧法が認めた女性への強制不妊は、主に卵管を糸で縛る術式だった。しかし、この施設では旧法が禁じた子宮の摘出が横行していた。子宮を摘出された入所者の一人は術後、月1回暴れるようになり、母親は「ヒステリーを起こすようになった。あんな手術はすべきでなかった」と後悔を打ち明けた。一方、手術されなかった入所者の母親は「あなたの娘は生理を気にして下着に手を入れないから手術しなくていい」と職員から説明された。危険な手術は、施設側の「管理のしやすさ」が理由だった。

 危険な手術は子宮摘出だけではない。54年に道が国とやりとりした記録。「やむを得ない場合は卵管焼灼(しょうしゃく)不妊法など他の術式で優生手術はできるか」との道部長の質問に旧厚生省課長は「貴見の通り」と容認していた。

 60年の「日本不妊学会雑誌」によると、当時、約100度に熱した金属棒を子宮内の卵管付近にあてて焼く不妊法が研究されていた。卵管以外の部分の「焼灼」や出血、下腹部痛のリスクがあり、「広く実用化されなかった」(55年週刊医学通信)が、道内の強制手術では認められた。

 「わずか10分で入院不要・無痛無害。若返り作用あり、健康増進す」。54年、根拠不明の不妊手術広告を出した内科病院を道が「注意」した記録もある。

道、各保健所にノルマ

 「明らかに知的障害も精神障害もない男性が審査の場に来た。なぜこの人がここにいるのか、と思った」

 奈良県大和高田市の弁護士、白井皓喜さん(83)は67~69年、道優生保護審査会の委員を務めた。当時は家庭裁判所判事補。審査は「(手術実施の)適」「保留」「否」の3通りの結論があったが、2年間の在任中「否」が出たと記憶するのはこの男性だけだったという。

 審査では保留になるケースもあったが、白井さんは「道が否決を嫌がったのが原因」と証言する。本人を呼ぶ審査は各保健所が探し出した対象者に疑問がある場合などに限られ、精神科病院の入院患者は医師の診断を理由に、手術実施が「スイスイ」決まった。

 本人の障害が重くない場合、手術の決め手となる補強材料が親族の「遺伝調査」だった。国が定めた旧法施行規則は「遺伝性精神疾患」を持つ親族の有無などの記載を求め、詳細な情報は不要だったが、道は52年に各保健所に隣人らへの聞き込みで4親等の詳細な調査を徹底するよう通知し、「きれい好きなど神経質」「勉強を嫌う」など精神疾患と無関係な項目を列挙して報告を求めた。調査は困難を伴ったが、道は58年、安易に「不明・不詳」と書かないよう注意した。

 道は各保健所にノルマも課した。年間282件の手術があった同年、各保健所に積極的に対象者を発見するよう求めた上で「保健所あたり年間2件程度の申請に努めること」と明記した。

 審査も形骸化が進んだ。64年5月20日、道衛生部長室で開かれた第125回審査会の記録には、審査時間の記録が残る。約50分間で男女28人を審査し、全員を「適」とした。1人あたり平均2分弱の計算だった。

戦後、食糧事情が悪化

 
 

 なぜ、北海道はこれほどまでに強制手術を推進したのか。60年代に道優生保護審査会委員を務めた一人は「人口増加への対策があった」と話す。

 総務省によると、道の人口は、開拓途上だった1884(明治17)年に都道府県別で全国最少の22万7900人。ところが都市部の空襲を逃れる疎開や戦地からの復員・引き揚げなどにより、終戦時の1945年は351万8389人に急増し、全国最多となった。

 道発行の「新北海道史」によると、人口急増を受けて食糧事情が悪化。45年は凶作に見舞われ、「万単位の餓死者が出る」との流言が飛び交った。住宅不足が深刻化し、治安悪化の懸念も強まった。

 こうした中で進んだ強制手術は56年、全国最多の累計1000件に達し、道は記念誌「優生手術<強制>千件突破を顧りみて」を作製。精神障害者の生活トラブルや犯罪行動を列挙し、「誤ったヒューマニズムがかえって家庭や社会に大きな負担になる」と正当化した。

 精神科病院の建設も進んだ。55~61年の道内の強制手術数は年212~315件と全国でも特に多かったが、同時期に道内の精神科病院数は15カ所から31カ所に倍増し、全国2位に。核家族率が高く、農業・漁業など第1次産業従事者が多い道内では家族による障害者らの介護が難しく、施設依存率が高いと指摘する専門家もいる。

 「障害がなくても手術を強いられるなど運用のずさんさには驚くばかり。旧法の違憲性だけでなく、運用のずさんさまで出てくるとは予測していなかった」。道内での強制不妊手術の救済を求める弁護団の一人、小野寺信勝弁護士は言う。

 道衛生部が毎年度作った「保健予防課事業方針」。前年度の「優生手術」数と手術にかかった予算額は、国に報告した強制手術数と金額よりはるかに多い数字が並ぶ。高橋はるみ知事は、全民間病院にまで資料の保全を求め、手術記録の開示対象を最大3親等にまで拡大した。だが、明らかになった人権侵害の実態は氷山の一角とみられる。

旧優生保護法を問う

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